『 ○△□の樹 』   
東京都江戸川区  正蔵院副住職
豊山仏青会長  名児耶照教

○△□のお坊さん。お坊さんにも色々なお坊さんがいます。
怖そうなお坊さん、気さくなお坊さん、痩せたお坊さん、太ったお坊さん・・・
でも、お坊さんに限らずいえば、人は、もっと、もっと、さまざまな○△□、姿や体格そして性格、生き方と、人それぞれ、限りないさまざまな有り様です。
真言宗のご開祖である弘法大師、空海上人、お大師さまのお言葉の中に、
『禿(かむろ)なる樹 定(さだ)んで禿(かむろ)なるに非ず』というお言葉があります。
このお言葉の意味は、「いつまでも愚かではない。時がくれば、きっと花が咲く」ということをいっておられます。

【禿】という漢字は、あまり見かけませんが、【ハゲ】という読み方もあります。そうです。頭の髪の毛が薄くなることを意味する言葉です。
私は、月に一度、同級生のお家がやっている床屋へ行って、「いつものマルガリータ(丸刈り)で」と、一番短いバリカンで髪の毛を0.1mmにしてもらっておりますが、家に戻ると、子どもに「禿(ハゲ)になって、帰って来た」と言われます。冗談で言っているのか? 勘違いなのか?
子供に「どう?」と聞くと、「いいんじゃない」と答えるので、「いいだろ、禿あたま」と言って、ふたりで笑っております。
実際のところは、毛根がなくなった訳ではないのですから、髪の毛は、また伸びてくるのです。

お寺にある桜の木も、今の冬の時期は、葉も枯れ落ちて何もない状態ですが、でも根や枝はあるので、機を熟し3月の終わりになれば、すばらしく綺麗な満開の花を見事に咲かせてくれます。人も同じでは、ないでしょうか? 同じというのは、髪の毛のことではなく、人が生きていく上でのことになります。

人は、それぞれ、花の咲かせる時期も、内容も違いますが、花を咲かせる機が熟すまで、根を太くし、目標を求め、定め、努力すれば、必ず花が開くときが来る。
学校で人から学んで、根を深く張り、専門的な勉強や研究をして、力強い幹となり、探求し、努力し、工夫や巧みなワザによって、枝が伸び、いずれ成果として、花を咲かせていく。
この事は、まさしくお大師さまのお言葉の『禿(かむろ)なる樹 定(さだ)んで禿(かむろ)なるに非ず』の通りではないでしょうか。
人によって、価値観も違い、それぞれ、見いだすものも、違いますが、人は、誰もが必ず生命という根をお持ちになっております。その根を大事にしながら、お大師さまのお言葉を信じて、焦らずに、諦めずに、自分のスピードで歩んで下さい。

南無大師遍照金剛