『 美しい国日本 』   
東京都調布市  常性寺副住職
豊山仏青会計次長  芝村昌憲

昨夜遅く、電話の音が鳴り響いた。直感で、「お葬式かな?」と思うとそのとおりだった。
お寺の門前に住む、大正一桁生まれのおばあちゃんが亡くなったのだ。気分が悪いとトイレに行き、帰ってきて倒れ、息子さんが病院に連れて行ったが、そのまま逝ってしまったそうである。

次の日の朝、息子さんが葬儀の打ち合わせに寺に訪れていた。
御近所ということもあり、私の家族は皆、そのおばあちゃんの事を良く知っていた。母が嫁いでくる前は、お寺のお掃除も手伝っていてくれ、私や姉が小さい頃はよく世話をしてくれた。
しかし高校、大学に進むと会う機会も少なくなり、たまに衣のほつれを直してもらう時にお菓子をもってお茶を飲みに行くぐらいであった。

葬儀はお寺の会館で行われることになった。昼過ぎから葬儀屋さんが出入りして、大忙し。
近所の奥様方も集まり、裏方を取り仕切っていた。

そんな折、葬儀屋さんが大きなダンボールを3箱庫裏に持ってきた。
「お施主様からです」住職が開けてみると、中からは何百もの六地蔵様用の赤い帽子と前掛けが出てきたのである。亡くなったおばあちゃんが作ったものであった・・・。
春秋の彼岸、お正月、お施餓鬼、年に何回か六地蔵様の帽子と前掛けを新しいものに交換してくれていたのは知っていた。
しかし、まさかこんなにたくさん・・・。住職も感無量・・・黙って遺影を見つめていた。

安倍晋三首相の著書『美しい国へ』に一人の特攻隊員が出てくる。
鷲尾克己少尉。1945年5月11日の早朝、陸軍の特攻基地のあった鹿児島県の知覧飛行場から沖縄の海へ突撃した。享年23歳。「如何にして、死を飾らむか」「如何にして、最も気高く、最も美しく死せむか」
鷲尾少尉が残した日記の一部をこう引用し、安倍首相は特攻隊員の気持ちを代弁する。
「死を目前にした瞬間、愛しい人のことを思いつつも、日本という国の悠々の歴史が続くことを願ったのである」そして戦後生まれ世代へこう問いかける。「確かに自分の命はたいせつなものである。しかし、時にはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだということを考えたことがあるだろうか」

そのおばあちゃんは20代で夫を戦争で亡くし、女手一つ四人の子どもを育て上げた。
いつも言っていた。「夫が、私たち家族を戦争の惨禍から守ってくれた」「今世界でも有数の裕福な国になり、多くの孫、曾孫に囲まれて幸せに生きられるのも夫のおかげである」と。
「私は生涯現役! 体の動く限り働き、老後(死後)は極楽で亡き夫と静かに暮らす」と!

夫の菩提の為、自分に何ができるであろうか? 再び極楽で夫に会うため、どのように徳を積むか? 「六地蔵様の帽子と前掛けを作ろう!」そう思い立って数年、暇があるたびに作り続けていたそうです。
亡き仏様が御加護してくださる、亡き仏様のために徳を積む。本当に美しい国であると思う。
おばあちゃんありがとう。美しい、生き方死に方を見せてもらいました。
仏さまの世界で、旦那さんと楽しんでください。

合掌