『 未遂のそのまた未遂 』   
千葉県野田市  昌福寺副住職
千葉北部仏青会員  下河邊賢明

「最低だな、お前。」
友人が生きてきたなかで、もっとも傷ついた言葉だそうです。相手が確実に深く傷つくであろう、絶妙なタイミングから放たれた言葉。それが、公衆の面前で言い放たれる。自分をおとしめる言葉に、満面の笑みを浮かべている言葉の主。

その話を聞いたとき、わたしはちょっとおおげさな表現と感じました。話を聞くかぎりでは、友人のさまざまな思いの絡み合いから、被害妄想が膨らみすぎている部分もあるように受けとれました。しかし、精神的に深いショックを受けたことは確かなようでした。

その言葉を投げかけられた夜、友人はビニールテープを手にとりました。首から強く脈打つ音が聞こえ、からだが熱くなって、目の前が白くなっていった。そのときの精神状態について、友人は「本当に死んでしまおうとは思っていなかった」と語っています。友人の行為は、自分自身を傷つける衝動から発したものでした。

青春期のさなか、満ちあふれたエネルギーで前へ前へと進んでいた時期。それが精神的に追いつめられたことで気力を失い、死ぬことは出来ないけれど生きることも出来ない精神状態におちいった。「偶然に事故でも起きないかな・・・」そんなうつろな考えばかりが頭をよぎっていく。

友人は、何度かそうした行為をおこなったといいます。でも必ず最後に、生きるという本能が歯止めとなる。死ぬほど強くは絞められないから、ある程度絞めたらビニールテープを固定し、そのまま熟睡する。そのときはただ、「目が覚めたときあの世にいれば自分は運がいい」としか考えなかったとのことでした。

しかし目覚めてみる、まだこの世にいた。からだじゅうがあまりに熱く、ふたたび眠り続けることができなかった。そのとき、はっきりと生きていることを実感したのです。友人は即座にベッドを飛び出し、急いでビニールテープを切ると、その後は普通に眠ったといいます。それは、みずからの生命を絶つまでいかない「未遂のそのまた未遂」の行為でした

もちろん、いまは終わった過去です。友人は、そのときのことを深刻に話しませんし、「不謹慎だけど自分のおこないがユーモラスに聞こえてくる」とさえ言っています。きっと、過去の出来事としてある程度の整理ができているのでしょう。

しかし、これをたんなる過去の出来事として片づけてはいけません。もし、そのときひとりの人間が死んでしまったら、かならず誰かを悲しませ、多くの心を引き裂くでしょう。未遂を行ったわたしの友人も、決して一人で生きてるわけではありません。両親がいて、友人がいて、先輩にも後輩にも恵まれた存在で生きてきたのです。ですから、「命を粗末にしてはいけない」と肝に銘じて、人生を歩みつづけなければなりません。

心ない言葉は、ひとつの生命を消してしまうほど人間を追いつめる。わたしたちは、その事実を肝に銘じなくてはいけません。幸いにして、現在の友人はのん気な性格となっていて過去のことを冗談まじりに話しています。しかし、過去の彼が遭遇した最低な言葉は許されたわけではありません。友人の話を聞いて、人間として言ってはいけないこと、やってはいけないことは何なのかをあらためて考えなければいけないと強く胸に刻んでいます。