『 観音さまとおかげさま 』 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
奈良県桜井市 能満院住職 奈良仏青会員 大河内海光 |
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・・・どうやら観音さまのお参りは二の次のようです。 また、こんな電話もありました。
・・・西区は神戸や名古屋にもあります、念のため。 ちなみに、この方は数分後に再度電話をかけてきて、どこで下車すればよいのかを訊ねられました・・・。 まあ、こういう電話はごくわずかなのですが、近年特に多い問い合わせがあります。それは、「車で上(観音堂)まで上がる事ができますか?」というものです。 長谷寺には、仁王門から本堂まで約400段の石段がありまして、慣れていないと歩いて登るのは結構苦労します。この問い合わせに対しては、基本的に身体の不自由な方や、高齢で自力で登るのが難しい方に限り、本堂近くまで車で上がることを許可しています。 逆に言えばそれ以外の方には、歩いてお参りすることをお願いしているのです。そのため、不満をあらわにする方もいらっしゃいます。
しかし、お寺のお参りにはそのお寺ごとのルールがあります。 長谷寺においては、仁王門から本堂に至る道が正式な参道であり、車道はあくまで荷物運搬用または緊急用の脇道でしかありません。そして、参道に存在するものには全て意味があります。
近年は、便利であるということが当たり前になり、さらなる便利さを追い求める一方、不便なことは害悪であるというような風潮が広がりつつあります。 しかし、便利さを優先させるがゆえに物事の本質が歪められてしまうとしたら、それは悲劇でしかありません。不便であるがゆえに苦労をし、苦労をするがゆえに大きな達成感が得られることがあることを忘れてはいけないと思います。 話を戻しますが、長谷寺にお参りに来られるすべてのご高齢の方が車を利用しているわけではありません。90歳を超えても、杖を片手に石段を登ってお参りをされるおばあちゃんを私は知っています。また、両脇を息子夫婦、背中をお孫さんに支えられて観音様の前までたどり着いたおじいちゃんを目にしたこともあります。 そういった方々は、我々に対してこのように言われます。
観音さまのおかげ、家族のおかげ、まわりの人々のおかげ。「おかげさま」という言葉には、いろいろな想いが込められています。 悲しいかな、世の中が便利になればなるほど、「おかげさま」という言葉を使う人も、使う機会も減って来ている気がしてなりません。私は、便利主義で覆われたこの現代にこそ、「おかげさま」という感謝の言葉とその気持ちがもっともっと必要ではないかと思うのです。 時間に余裕ができた際は、ぜひ長谷寺にお参り下さい。 息を切らせて石段を登りきり、金色に輝く大きな観音さまを目にした時、これまでにお参りをした無数の人々の感謝の想いが、あなたの心にも染み渡ることでしょう。 |