『足るを知る』

 
    澁谷快阿

越後仏青
越後仏青太鼓隊【天鼓雷音】代表
新潟県燕市  本覚院副住職
 
 


 早速ですが一つ質問いたします。今、欲しい物はありますか?
いきなりの質問で失礼いたしました。おそらくほとんどの方が、ある、とお答えになるのではないでしょうか。自然なことです。こんなことが出来たらいいな、こんなものがあれば生活がもっと豊かになるだろうな。人間は欲があるからこそ進化し続けてきたのです。

 しかし、欲が深すぎると大変です。僧侶である私にも経験があるのですが、身の周りにいる人が持っている物をついつい欲しがってしまうんです。あれも欲しい…これも欲しい…もっと欲しい、もっともっと欲しい!こうなってしまうともう自分を抑えられません。

 私には大事にしている言葉があります。それは、「知足者常富(ちそくしゃじょうふ)」です。足るを知る者は常に富めり、と読み下します。足ることを知っている人は、どのような状況に置かれてもいつも富んで豊かである、という意味です。

 例えば、とてつもない豪邸に住み、近郷近在に並ぶ者がいないような大富豪であっても、もし物欲にまみれ、満たされていないようなら、その人は貧しい人ではないでしょうか。逆に、とても貧しい生活を送っていたとしても、私はこの生活に満足している、これで十分だと感じているならば、その人は富んだ人であると感じます。一体何が貧しく、反対に富んでいるのか。言うまでも無く、心です。

 私にはこれで十分です、満たされています。こうした足るを知る心を持つ人は、とても豊かな精神生活を送っていると私は思うのです。その人は貧者なのか、それとも富者なのか。それはお金の有無ではなく、心の持ち方だと師匠に常々教えられております。

 ここで私の地元、新潟が誇る一人の僧侶をご紹介いたします。江戸時代末期、越後の地に、足るを知る心を持ち、生涯を送られた良寛(りょうかん)という禅宗の僧侶がいました。こちらでは親しみを込め「良寛さん」と呼んでいます。

 現在の新潟県出雲崎町にある、名門の庄屋の長男として生を享け、幼名を栄蔵といいました。子供の頃から読書が大好きで漢詩や和歌などの才能に秀でていました。当時は長男が家督を継ぐというのが当たり前の時代でしたが、長男の栄蔵は突然出家し、名を良寛と改めたのです。その後、全国を行脚、修行を重ね越後の地に帰って参りました。家出同然で僧侶になったため、実家の敷居をまたげるわけもありません。そこで、現在の燕市国上山の中腹にある五合庵という小さな庵に仮住まいをすることになりました。

 五合庵は、私が副住職を務めさせていただいている本覚院から歩いて一分と、とても近い場所にあります。今では近くまで道路が通り、休日には観光客で賑っていますが、江戸時代に道路も車もありません。用事があれば、とにかく歩いて麓まで歩いて下りなければなりません。加えて新潟県は豪雪地帯ですので冬場はさらに大変です。良寛さんも御苦労をされたことでしょう。しかし、良寛さんはそのような生活に満足していました。

 ある時、越後長岡藩主の牧野忠精(まきのただきよ)という方が、五合庵の良寛さんを訪ねてきました。牧野さんは、かつて江戸幕府の老中を務め、役目を終え越後にやって来ました。老中は今の役職で言えば大臣にあたるような重役です。

 牧野さんは、藩主として藩の民を教化し、優秀な人材を育成したいと思案されていました。そんな折、風の便りに国上山に良寛という立派な僧侶がいるという話を耳にしました。是非とも良寛和尚を長岡に招き、新たに寺を建て、住職になって頂き民を教え導いてほしい。そのように考え、早速籠を仕立て五合庵までやってきたのです。

 私が思うに、良寛さんにとってこれ以上ない話です。長岡に行けば、山奥の小さな庵で、不便な生活をすることなく、手厚い待遇を受け何不自由無い生活を送ることが出来るでしょう。

 牧野さんは、是非とも長岡にお越し頂きたい、という旨を良寛さんに伝えました。すると良寛さんは、短冊を手に取り筆に墨を含ませ、サラサラッとこのような俳句を詠まれました。
 
「焚くほどは風がもてくる落ち葉かな」

 今の時代、ご飯は何で炊いていますか?ほとんどの方がガス釜や電気釜を使っていることでしょう。しかし昔は、かまどが主流でした。杉の葉を集めては燃料にしていたそうです。一風吹けば、村で杉の葉の争奪戦が繰り広げられていたと祖父や祖母によく聞かされました。

 つまりこの俳句は、「どれだけ燃料を使っても、一風吹けばまた多くの燃料を自然より頂けます。贅沢をしなくても私はここで幸せな生活を送っていますよ」という良寛さんの足るを知る心が込められています。早い話が、牧野さんへの断り状です。良寛さんすごいですね。長岡行きを断ってしまいました。この心の豊かさを私も見習いたいと思います。牧野さんは良寛さんの心中を察し、長岡に帰って行かれたそうです。

 良寛さんは金銭的には貧しかったとはいえ、足るを知る心のおかげでとても豊かな生涯だったと感じます。人生に於いてハングリーであるところは必要だと思います。しかし、場合によっては足るを知ることも大事なのではないでしょうか。心の片隅でもいいです。良寛さんのような心持ちを留めておくことをお勧めいたします。