『大切なもの』

 
    門屋昭譽

東京6号仏青
東京都東大和市  三光院副住職
 
 


「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」

 平家物語の始まりである。

 祇園精舎の鐘の音には、すべてのものは常に変化し、同じところにとどまることはないという響きがある。沙羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという道理を表している。

 「諸行無常」は仏教の根本思想である。

 この世の中で不変であるものはなく、常に変化していくのである。それを理解できないがゆえに我々は苦しむのである。

 と、頭では分かっているつもりだけれども、そうもいかないこともある。

 ご自身で大切にしているものはありますか?
 もしそれがなくなってしまったとしたらどうしますか?

 先日、私はこんなことがあった。

 雨の日、傘を持って出かけた。お店に入り、傘立てに置いて店内に入った。数時間後、帰る時には自分の傘はなくなっていた。とても大切にしていた傘で、とてもショックだった。帰りながら、落ち込む自分に「諸行無常」の言葉が頭に浮かぶ。

 大切なものでもいつかはなくなるのだと納得しようとしている自分と、せっかく大切にしていたものなのにと気落ちする自分とがせめぎ合う。 大切にするがゆえに愛着がわき、失う苦しみが生まれるのであれば、いっそ大切にしなければよいのか。それも違うような気がする。

 今の私は、こう理解することにした。

 ものを大切にする、愛着がわくことは人として生きる上で不可欠なことである。そして失う苦しみも不可欠である。 もし失う苦しみが大きければ、それだけ大切にしていたということである。これはとても大事なことだと思う。今回の私で言えば、傘である。この傘にはいろんな思い出が詰まっていた。失って悲しい思いもしたが、今ではいろんな思い出をありがとうという感謝の気持ちでいる。

 矛盾するようだが、諸行無常であるからこそ、一瞬一瞬を大事にしていくことに意義があるのだと思う。今身近にある当たり前のように存在するもの全てがかけがえのないものである。
 むしろ当たり前のように存在するものの中に、ご自身にとって大切なものがあるのかもしれない。