ウルグアイ元大統領であるホセ・ムヒカ氏。“世界で一番貧しい大統領”は世界に本質的な問いを投げかけます。ムヒカ氏の言葉一つ一つは、「幸せとは何か?」を考えさせられます。
先日亡くなられたタイのプミポン国王。国王が掲げた「足るを知る経済」の理念は、“人々の幸せは心の豊かさ”に大きく依るものだという仏道のメッセージが多分に託されたものです。
幸せとは何か、豊かさとは何か。いかに、幸せや豊かさを感じることが出来るのか。どうすれば心豊かに歩めるのか。
皆様、どのようにお考えでしょうか。
日本はストレス社会であるといわれます。社会環境がめまぐるしく変化する中で伴う不安・せめぎあう価値観・感じにくい生き甲斐。挙げれば切りがありませんが、とにかくストレスを感じやすい世の中だそうです。
本来ストレスは、外敵からの危険を避けるため、一時的に緊張感を高めるもので、人間のみならず動物が生きて行く上で必要なものだそうです。しかし、現代社会において問題視されているのは、多くの方が“断続的に”ストレスにさらされているということです。
常に“危険な状態”に自身が置かれていると脳が認識し、常に緊張状態にある方が多いとされるストレス社会。命を脅かす過度なストレスを意味するキラーストレスという言葉まで一般化してきたようにも感じます。
仏道において、私たちの活動は身体・言葉・心の 3 つそれぞれがそれぞれに深く関係していると考えます。ことに心のあり方を深くかつ丁寧に見つめられます。
怒りを感じている時、ついつい言葉も振る舞いも角が立ってしまうものです。悲しい時、ついつい言葉も振る舞いも力なくなりがちです。上機嫌な時、ついつい調子の良いことを言ったりやったりしてしまうものです。
その時その時の心のあり方は、自身の言動のあり方と相関関係にあります。心が穏やかで、気持ちにゆとりがあれば、自ずと自身の言動も柔らかく優しいものになります。
今の世にあって、いかに心豊かな歩みを進めることが出来るのか。
仏道は、時代や場所に関係なく、心豊かな歩みを進めるための指南に富んでおります。現代においても個々人の幸せの手がかりとなるメッセージに仏道は富んでおります。
蓮の花。それは仏道を象徴する花でもあります。蓮は綺麗な水ではなく、泥の中でしか生きることが出来ません。泥は我々の生きる世界と重ねられます。我々の世界を娑婆といい、耐え忍ぶ世界を意味します。向き合わなければならない現実を自身の糧としながら歩みを進め、その先に花を咲かせましょうという優しいメッセージを蓮の花は担っております。
耐え忍ぶといっても、ひたすら我慢しなさいということではありません。しっかりと向き合うということです。しっかり向き合うためには、向き合うための視点が問われます。向き合うものは自身の捉え方一つで薬にも毒にもなります。
とはいえ、何でもかんでも自身の視点に責任を負わせてしまっては、かえって自身にストレスをかけてしまいかねません。自身の環境を少し離れ、客観的に自身を見つめ、心身を安らげることがとても大切かと思います。
現代において心静かに自身を省みることが出来る場所として、お寺が最適ではないかと感じております。お寺は全国に多数ありますが、日常から少しおいとまして、心身を安らげるにはもってこいの空間です。
お寺の空間は、仏道のみ教えそのものでもあります。お寺は古くから沢山の方が集い、祈りを捧げ、語らった場所です。
それぞれの地域にてたたずむお寺に、流れる静かな時間に、その身を置くことは良いものです。思いをはせながらお寺をお参りすることで、心休まる方が多いかと思います。お寺にもよりますが、写経や写仏、ご詠歌など、様々な催しをされている所も多い昨今です。そのような催事に参加され、仏道に触れて頂くことも心のお手入れとなるかと思います。
現代社会において心豊かに歩みを進める一助として、ご縁のあるお寺にしばしば足を運ばれてみてはいかがでしょうか。
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