WEBサイト編集委員会山﨑亮秀がインタビュアーとなり、
三重県伊賀市にあります喜福寺にて、内田秀明師にお話をお伺いしました。
 第十三回 お坊さん数珠つなぎ
内田秀明師
 
 


御紹介

内田 秀明(うちだ しゅうめい)師

朝日山 喜福寺 副住職

上津山 宝珠院 執事
http://houshuin.net/index.htm

三重仏青会長(取材時)

三重仏青創立50周年記念事業実行委員長





山 﨑
まず、どんなお寺か教えてください。

内 田
喜福寺は、江戸時代に建立されたお寺で、元々はこのお寺の下の坂を下った所に川があるんですけど、そこの橋のあたりにあったんです。しかし、お寺が焼けてしまい、江戸時代(元禄年間)にこの地に引っ越してきたんです。この地に来てからの歴史としては300年ちょっとのお寺なんです。お寺を再興しようとした時に、近くにあった七仏薬師寺というお寺の七体のお薬師さんのうちの一体を、持ってきたんです。また、当時この辺の庄屋が守り本尊としていた阿弥陀さんと一緒にお祀りしたのが始まりなんです。現在、ご本尊は阿弥陀さんですが、阿弥陀さんとお薬師さんを祀っているのは珍しい組み合わせで、生きている間はお薬師さんに元気に面倒をみてもらって、亡くなったら阿弥陀さんの極楽へ行けるっていうのは、こんな有難いお寺はないよっていう事ですよね。(笑)また、名前だけみても、喜ぶに福の寺って、なんてめでたいお寺なんだって思いますよね。

山 﨑
先ほど本堂正面を拝見させていただいて、正面に阿弥陀さんがありますよね。奥にお薬師さんがいるのですか?

内 田
正面の阿弥陀さんがご本尊で、向かって左側にお薬師さん、右側にお地蔵さん、虚空蔵さんです。虚空蔵さんがどんな経緯でここにいらっしゃるかは聞いた事がないです。

お地蔵さんに関しては、昭和30年くらいに截金細工(きりがねざいく)(※1)の人間国宝になられた西出大三(にしでたいぞう)さんって方がいまして、その方がお寺に来た時に、喜福寺のお地蔵さんを見つけましてね。そのお地蔵さんがパカッと割れたときに、中にこれくらい(10cm弱)の胎内仏が入っていたんです。それで、その胎内仏が国宝になるだろうと西出さんが思って、仏像修復を兼ねて截金細工の修復もやったんです。しかし、それがあまりにも小さい仏像のため国宝にはならなかったんです。それで、胎内仏のレプリカを一旦、喜福寺のお地蔵さんに入れて、その後、だいぶ経って西出さんが人間国宝になってから、その仏さんを返すと言って、お寺に戻ってきたという話があるんです。ちょっとした映画っていうか取材があって、ドキュメンタリーみたいになったんですよ。

※1 金箔・銀箔・プラチナ箔を数枚焼き合わせ細く直線状に切ったものを、筆と接着剤を用いて貼ることによって文様を表現する伝統技法。



地蔵菩薩(奥)と胎内仏(手前)




山 﨑
この近辺のお寺さんは、兼業されている方がほとんどだと伺いました。

内 田
うん、何かしらの兼業をしながら、とは言っても総本山長谷寺とか岡寺に勤めている人も多いんで、お寺関係以外に勤めているのは、このお寺の近くでは自分くらいかな。

山 﨑
やはり土地柄(長谷寺まで車で1時間ほど)、本山にお勤めになる事が多いんですかね。

内 田
まあ、長谷寺で勤めていたら違う仕事をしているとはいえ、お坊さんという仕事の延長でお寺の事ができますからね。

山 﨑
内田さんは中学校の教師をされているとお聞きしました。

内 田
はい。中学校で数学を教えています。

山 﨑
なぜ、この道を選んだのですか?

内 田
高校に入った時までは大正大学(※2)へ行くつもりでいたんです。大正大学に入れば、お坊さんの資格と教員の資格を取れると思ってね。まあ、父親が市役所とお寺の兼務でしたし、子供の頃、「学校の先生をしながらやっていく方法もあるよ」って父から聞いて、それから学校の先生という仕事が将来の仕事かなって思うようになったんです。

あと、こんな先生になりたいなって思うような先生に出会って、その先生が数学教師だった影響が強かったかな。高校1年の理系・文系に分かれる時には数学の教師になりたいと思っていましたね。それで、大正大学では数学の教員資格は取れないと思って、関東で数学の教師の資格が取れる大学へ行くことにしました。

※2 真言宗豊山派僧侶の資格が取得できる大学

山 﨑
なぜ関西ではなく関東の大学へ?

内 田
父親が東京のお寺に随身(※3)させてもらっていたんで、関東にいれば知り合いのお寺にお手伝いに行かせてもらいながら勉強もできるし、護国寺に宗務所(※4)もあるから、そこで講習会なり勉強会を受ける事もできるだろうと言われましてね。そういう事で、当時の自分の学力で行ける大学が茨城大学だったんです。(笑)そこは卒業すれば小学校、中学校両方免許が取れ、さらに単位を取れば高校の免許も取れる。そんなところに魅力があった大学だと思いますね。

※3 お寺に住み込んでお手伝いをすること。
※4 寺院の届出書類などを提出する宗派の役所のような場所。


山 﨑
ご住職は、いずれはお寺をやってもらうためにと色々考えてくれていたんですね。

内 田
ただ、大正大学への編入学っていう方法も実はあったと言われました。でも、学校の先生っていうのはできるだけ早く現場に入って経験を積む事が大事だから、大正大学に編入学するよりは4年で帰ってきて、教師としての経験を積みなさいというようなアドバイスがあったかな。

山 﨑
では、大学終わってからすぐ中学校の教師になられたんですか?

内 田
いや、大学を卒業してからは小学校で1年間、講師をしていました。そのあと1年間だけ採用試験の勉強がしたいと言って講師を辞めさせてもらって、次の年の3月からは中学校の講師をしました。中学校で3年講師をした後に教員採用試験に合格して、現在まで12年間、中学校の数学の教師をしていますね。

山 﨑
やはり兼業をしていかないと厳しい状況なんですね。

内 田
うーん、生活出来ないです。だからと言ってこれから先、このお寺の収入だけで生活できるようにするなんてとてもじゃないけど現状を見ている限り無理ですね。そこを考えると、もう1つのお寺の宝珠院(父親の兼務寺)は祈願寺なんで、そこをどう盛り上げていくかになっていくのかなって思っています。



喜福寺の本堂内




山 﨑
兼務寺の宝珠院は祈願寺という事ですけど、お檀家さんは0という事ですか?

内 田
0ですね。

山 﨑
そこで、柴灯護摩(さいとうごま)(※5)を年1回やってらっしゃるという事で、その他には何かやっているのですか?

※5 日本の山岳信仰が真言密教(仏教)に取り入れられた「修験道」で行われる護摩。主に真言宗・天台宗の寺院で行われる。

内 田
宝珠院の方は大晦日に除夜の鐘を撞いて、護摩を焚きます。1月28日の初不動でも護摩を焚いて、2月の末に大般若転読会を行いまして、6月の最初の週に水子の供養があります。10月には柴灯護摩があって、12月には大師堂でしまい大師法要を行ってという感じですね。あと、毎月写経会もやっています。宝珠院の方は人に集まってもらってなんぼのところなんで、行事とかは土日にやるようにしているんです。

山 﨑
10月の柴燈護摩(火渡り)のパンフレットを見ると、お稚児さんも出ているんですね。結構、大変そうですが色々と地域の方々にもバックアップしていただいているのですか?

内 田
色々と協賛もしていただけているんですけど、これも他のお寺でやっている方法を真似させていただいて、3年目くらいから始めたんです。少しずつ増えていきましてね。今は有難い事に協賛していただいているところだけで宣伝費が賄える状態にまでなりましたよ。おかげさまで、今年まで10年間続けさせてもらうことができました。

山 﨑
色々とやられているんですね。私なんかはお寺だけでやっていますから、内田さんの話を聞くと大変だなと思いますね。教師としても僧侶としても手を抜く事なく取り組んでいる感じがしますね。

内 田
兼業でお寺をやっている人で、ここまでお寺の行事に力を入れているっていうのは少ないと思うんですよね。だから、お寺も教師もある程度に抑えれば、そんなには忙しくはないと思うんです。でも自分の性格上、何かやりたいなって思ったらやっぱり、とことんやらなくちゃ気が済まないんですよ。

私は普段、学校で働いていますが、そうした時に周りからお寺があるからこのくらいしかできないっていう見られ方だけはしたくないんですよ。だから、普通に学校だけでやっている先生以上にやらないと認めてもらえないんじゃないか、お寺があるから休んでいるって言われるんやったら、お寺を辞めて学校の先生だけやるとか、学校の先生を辞めてお寺だけに専念しないとアカンやないかと思うんです。だからこそ、両方ともしっかり取り組んだ時にしわ寄せがいっているのは家族かなって思いますね。土日の時間が少しでも取れる時には、できるだけ一緒にいるようにはしていますね。


 
火渡りの様子




山 﨑

大切にしている事とか、これは伝えておきたいっていう事は何かありますか?

内 田
やっぱりお坊さんって、人の生き方を説く事が大切だと思いますね。亡くなった人の供養や先祖の供養っていうのもあるけども、実際人と接する時に何が大事になってくるのかは「生き方」だと思います。自分は生徒に何か将来の見えるきっかけを伝える事ができているのかと常に考えています。お坊さんをしている先生だからこそできる事っていうのを自分は心掛けたいですね。学校には色んな先生がいますし、自分も他の先生と接してみて『ああ、ここを見習いたいな』とか、ここは自分とは考え方が違うなとかありますからね。でも、自分は僧侶・内田秀明が学校の先生をしているんだと思うようにしているんです。常に自分の芯は僧侶であって、学校の先生の代わりはいくらでもいるけど、僧侶である内田秀明の代わりはいないですよね。生徒に『じゃあ先生、お坊さんと先生だったらどっちをとるの?』って聞かれたら、迷わずに『お坊さんをやるよ』と言えるこだわりは持っていたいですね。

山 﨑
そうですよね。お寺だけでやっていたら、こんな風に子供達と接する機会なんてなかったですもんね。やっぱり子供達の目線からみても内田さんみたいな僧侶であって先生でもある人と接するというのはこれからの人生でも貴重な経験になると感じます。

内 田
そうなんですよ。だから学校の先生仲間や生徒ともそうですけど、お坊さんとかお寺とか仏教って、ちょっと遠い存在になってしまっているのかなと思いますね。でも、そうじゃないよって事は発信していきたいです。だから、生徒の前では「実はな、昨日、先生は火の上歩いてきた」とか「滝に打たれてきた」とか話しています。その話の中にお坊さんやお寺や仏教なんかを近いものだと思ってもらえると、これから先、変わってくるんじゃないかと思いますね。だからこそ、本当は学校でそういう話をするのはダメなんじゃないかなと思いながらも、別に無理やり仏教徒になれという訳じゃなくて、自分はこうなんだと伝える事が大事だと思うんです。あとは子供達がどう感じてくれるかですけどね。そういう機会を与えられる存在でありたいです。

あとは逆に自分の立場からすると、学校では生徒と接したり、その保護者とも接したりする事ができる。お寺にいれば年配の方と接する事ができる。色んな世代の方達と接する事ができる。自分の人生は他の人よりも恵まれているんじゃないかと思いますね。


取材中の内田師と山﨑師

平日は学校、土日は法務とご多忙の中、取材に協力いただきまして、ありがとうございました。教師でありながらも、お坊さんとしての心構えは忘れない姿勢に強く心を打たれました。中学校の多感な時期ってどんな先生に教わるかとても大事ですよね。内田さんみたいな情熱のある教師と過ごした生徒たちは本当に幸せだなと思いました。

余談ですが、私は今回の取材でのご縁もありまして、10月に行われた宝珠院の柴燈護摩に参加させていただきました。当日は、150人近くの方々が参加し、賑やかな雰囲気で行われました。私もしっかりと足裏に勲章(火傷)を残すことが出来たので非常に満足です!

内田秀明師、誠にありがとうございました!