第5回はWEBサイト編集委員会顧問の中山和光がインタビュアーとなり、
東界寺副住職の竹内杲基師にお話を伺いました。
東界寺は愛知県にあるお寺で、尾張徳川家と深いご縁があります。

第五回 お坊さん数珠つなぎ
竹内杲基師

  御紹介

竹内杲基(たけうち ごうき)

昭和46年9月24日生まれ

長尾山延命院東界寺(とうかいじ) 副住職

豊山仏青元副会長

総合研究院布教研究所研究員

ポスター・リーフレット編集委員会編集委員  ほか


竹内:
東界寺は、尾張徳川家六代継友公の実母泉光院殿が実父の菩提のために享保13年(1728)に弟卓運和尚によって創建され、名古屋市の中心にある名古屋城の、ちょうど東にあります。そしてご本尊さまは、運慶(※1)の作の薬師如来です。名古屋市の東側に位置し、東方瑠璃光世界の仏さまをお祀りしている、まさに「東」の世「界」のお寺なんです。

ご本尊のお薬師さんは、古くから耳病平癒に霊験があります。昔は耳の調子が悪いと、みなさん、お寺に願掛けにいらっしゃいました。その時、お寺から柄杓(ひしゃく)を持って帰ります。それも底のない柄杓を。これは、耳がよく通りますようにということで、底が抜けているんです。そして耳が通ると、その底抜け柄杓を返しにきます。今は、年に1度の御開帳の時に、耳病を持った方がよくお参りしてくださっています。

それから10数年前、ナゴヤドームが自坊から歩いて7〜8分のところに移転してきたんです。野球は大好きなので、応援にちょこちょこ足を運んでいます。

中山:
竹内さんは熱心なドラゴンズファンですからね(笑)

竹内:
ドラゴンズは今年もやります!優勝狙ってますよ!!

(※1)運慶……鎌倉時代の代表的な仏師。


東界寺の境内


竹内:
私の生まれは、弥勒院という名古屋市内にあるお寺です。兄が5歳上にいるので、私がお坊さんにならなければいけないということはありませんでした。だから小さいころは、僧道教育を受けていません。兄が、祖父と父と一緒に6時半頃から朝勤行をしている中、私はまだ寝ていました。恥ずかしい話、太鼓の乱れ打ちが毎日聞こえてうるさいな、と思ってたんですよね。別にお坊さんにならなくてもいいよって育てられると、余計にやりたくなる。そういうのってありませんか?親に強制されると、子どもはどうしても反発してしまうんですよね。私は野放しにされていたことでこの世界に関心をもっていたので、逆に良かったのかもしれません。

きっかけは高校生の時でした。実家の寺の先代でもある祖父が亡くなったんです。葬儀には、30人くらいのお坊さんがいらしてくださいました。今思えば、拝むお坊さんは8〜10人で、参列してくれたお坊さんを含めてその人数だったんでしょうね。その時のお坊さんたちは、いろいろな色の衣を着ていて、とてもきれいでかっこよかったんです。その姿にあこがれて発心(※2)しました。その頃、兄はお坊さん以外の道を志していたので、それなら私がお坊さんをさせていただこうと思っていました。お坊さんの素敵な姿を目の当たりにして決心がついたのは、自然な流れだったのかもしれません。

『ファンシイダンス』(※3)という映画が公開していた時期でもありました。その中でのお坊さんの立居振る舞いや所作を見て感動したのも、きっかけの一つですね。

(※2)発心……この場合は、仏門に入る決意を抱くこと。

(※3)『ファンシイダンス』……日本映画。1989年公開。監督は周防正行、主演は本木雅弘。家を継いで田舎のお寺の跡取り坊主になったシティボーイの姿をコメディタッチで描く。


 
本尊薬師大祭の様子



中山:

宗立の布教研究所の研究員もなさっているんですよね。

竹内:
はい。そういうこともあって、話をするのは好きです。私は人との出会いが大好きで、「出会いはいつも大切に竹内杲基」って感じで(笑)。だから初めてお会いした方とのお話もすごく楽しめます。

中山:
ご自坊や地域でも精力的に活動されていると伺っています。具体的にはどのようなことをされているんでしょうか。

竹内:
名古屋には月参り(つきまいり)があります。それは、例えば5日に亡くなった方がいらっしゃったら、そこのお宅に毎月5日にお伺いしてお経をあげるというものです。拝む時間は1件で12〜13分ですが、お話にその倍の時間をかけます。長いと30分でも40分でも。お孫さんが産まれたとか、うちの子がもうすぐ産まれますとか、いろんなお話をします。これがあるからお寺とお檀家さんとのより良い関係が築けているんだと思います。

加えて、最近特に力を入れてるのは団体参拝(以下:団参)です。今は北海道三十三観音霊場を回っています。

私がこの東界寺に入った時、団参は全く行なっていなかったんです。実家のお寺では盛んでしたので、それを引き継ぐわけではありませんが、こちらでも是非やろうと、東界寺巡拝講をつくりました。檀家さんだけでなく、信者さんや地域の方も参加していて、130人くらいの講員さんがいます。1度参加した方には毎回ご案内のお手紙を出すんですけど、参加するのは実質50人くらいで、ちょうどバス1台分です。3ヶ月に1回くらいの頻度で開催しています。泊まりがけで行ったり、日帰りの時もあります。

霊場を一つ巡拝して帰ってくると、「じゃあ和尚さん、次はここに行こうよ!」「若さん、ここに連れてって!」という次のリクエストをいただきます。それが、たまらなくうれしいですね。

1年半くらい前からは、1回巡拝するごとに成満証(じょうまんしょう)をお渡ししています。いわゆるノベルティですね。成満証が3枚たまったら腕輪念珠を、5枚たまったら高野山の高野槙でつくった念珠をお渡しします。皆さんが「この前お参りしたところの高野槙の念珠ですよ」って喜んでいただいています。そうやって楽しみをつくりながらお参りしています。

それから毎月8日、奇数の月に写仏を、偶数の月に写経と阿字観(※4)を、仏教座禅会という名前で開いています。8日は自坊の縁日なんです。午前中にはお護摩を、12時から2時までは「心の相談院」というテレホン相談を、そして2時から4時まで写経写仏の会をおこなっています。

中山:
お忙しいなか、積極的な活動をされていますね。

竹内:
忙しいって口癖のようになっているけど、何が忙しいのかなって考えると、さほど忙しいこともないんです。僕はお酒を飲むのが好きだけど、その時間を削れば他のことをする時間もできるし。
忙しいというのは「心」を「亡」くすと書くので、心が亡くなってしまったら坊さんをしてる意味がないと思うんです。なので、心を亡くさないように息抜きはしております(笑)。

(※4)阿字観……弘法大師空海が伝えた、真言宗の瞑想法。大日如来をあらわす阿字を本尊に用いる。

 
写経会の様子

 

竹内:
丸一日の休みはほとんどありませんが、時間を作って野球をしています。我々豊山派と智山派の連合野球チームがあるんです。チーム名は「沙門」です。それがすごく面白い!他には浄土真宗さんや日蓮宗さん、曹洞宗さんたちもチームを持っていて、今は8チームあります。以前は葬儀屋さんや花屋さんもいらっしゃいました。

中山:
名古屋市内のみなさんでチームを組んでいるんですか?

竹内:
いいえ、愛知県全体です。月に2回、試合をしています。友引の日に2時からです。友引は、ご葬儀はなくてもお通夜があるんです。だからお通夜に間に合うように、4時には解散します。


トーナメント優勝時の胴上げ




竹内:
正座と長い法要はやっぱりつらいです。特に、寒い時とか雪の降ってる日はね。

やっててよかったことはいろいろありますが、その中でも寺報です。年に2回発行しています。でも、平成16年の7月に中越で豪雨災害があった時、ボランティアに行っている関係でどうしても発行できませんでした。そうしたらお檀家さんから「どうしたの?寺報が送られてこないから、お寺からいなくなっちゃったかと思ったわよ!」と電話をいただいたんです。寺報をそんなに楽しみにしてくれていると知って、とてもうれしかったです。

講員さんとの団参

 

竹内:
一番好きな言葉は「いい加減」です。仏教には「中道(ちゅうどう)」(※5)という言葉もありますが、やっぱり「いい加減」が好きですね。日常生活で無理している方や場面に出くわすと、そんなに頑張らなくていいんだよ、「いい加減」で終えられればいいんだよって言ってあげたい。もちろん、自分にもです。「いい加減」は、毎日をものすごく楽にしてくれます。人間に完璧はないし、求めてもいけないしね。

うちの息子は野球をやっていて、そのチームの9人中5人くらいはイチローモデルのバットを使っているんです。チーム内がイチローばっかりなんですよ。そうすると、イチローのありがたさが全く分からなくなってしまう。でもね、優等生がいれば劣等生がいるというのがいいんです。「いい加減」でやりましょうよ。

(※5)中道……極端な見方を嫌い、ちょうど良い見方をしようとする道。


インタビュー中の竹内師


中山:
竹内さんはこの年度末(平成24年度末)に愛知仏青を40歳で卒業されるそうですね。

竹内:
はい。仏青には大学1年生の時から22年間お世話になりました。世代を超えてたくさんの方とお話ができた最高の期間でした。

私が32〜33歳の時、愛知の青少年研修会(※6)でこんなことがありました。島に行って子供たちに地引網を体験させようと、仏青会員が計画したんです。上の人たちからは反発されました。危ないじゃないかって。8月の終わりだったので、クラゲも出るし、足が引っ張られるとかいろんな噂もあるから、海には入るなとも言われました。でも、子供たちに網をガーッと引かせましたよ。当日の会長さんの判断でした。みんな海の中で楽しそうに泳いでたな。もちろん安全面には万全を期しました。その研修会に参加した子供たちは「あの時の地引網はよかった」っていまだに言います。失敗を恐れずに挑戦して本当によかったです。

あの時の会長さんのジャッジとその気持ちは、今なお代々受け継がれています。もちろん私もです。
愛知仏青が30周年を迎えた時、一番年上だった私が実行委員長となって、いろんな記念行事を計画しました。そうしたら若い方がどんどん出てきて――今、愛知仏青って本当に盛んなんですよね――、その子たちが「これもやりましょう、あれもやりましょう」って言って、一年間で9つの大行事を成功させたんです。会議を重ねると、いろいろな問題が出てきます。でも、私は以前の仏青会長さんから挑戦する気持ちを学んでいたので、怖がったらダメだ、怖くてもとりあえず進もうぜ、という思いで取り組みました。失敗してしまったら責任は上がとればいいんです。もちろん有事のことを考えるのは大事ですが、じゃあ程々のところでやめとこう、というのはどうなのかなと思います。
いろいろ言われても、若いんだから許してくれるんですよ。だから何事にも果敢に挑戦していただきたいと思います。


(※6)青少年研修会……子供たちに、お寺や仏教に親しんでもらうための研修会。支所(地域)の僧侶が主催し、企画運営する。支所ごと、並びに宗派(本部)で行う。


 

外山委員(左)・竹内師(中央)・中山委員長(取材当時・右)


竹内杲基さん、大変御多用の中、貴重なお話をありがとうございました。
たくさんの格言を聞かせていただきました。皆さんの生活のヒントは見つかりましたか?