WEBサイト編集委員会の外山杲吽がインタビュアーとなり、
愛媛県上浮穴郡にあります大寳寺御山内
の大西康元師にお話をお伺いしました。
 第七回 お坊さん数珠つなぎ
大西康元師
 
 



御紹介

大西康元(おおにし こうげん)

四国八十八ヶ所霊場 第四十四番札所
菅生山 大覚院 大寳寺
(すごうさん だいかくいん だいほうじ)

昭和45年1月1日生まれ

愛媛仏青会長




 創建は、大宝元年(701年)、文武天皇の代です。
 それより前の696年、安岐国(広島)からやって来た明神右京・露口左京(みょうじんうきょう・つゆぐちさきょう)という狩人の兄弟が野宿をしていると、光る十一面観音さんを見つけたそうです。それをここに安置したことがお寺の始まりと伝わっています。
 元号がお寺の名前になっているのは、四国でもうちだけだったと思うなあ。

 頭部に病気を持っていた後白河天皇が大寳寺との仏縁によって治ったということで、うちは頭の病気の平癒に霊験あらたかと言われております。
 後白河天皇の妹君も、この大寳寺で病気平癒の祈願をしてるんです。無事に成満すると、尼として出家しました。その後、お寺の近くの陵(みささぎ)大権現で棺に入った妹君が発見されて、今でもそちらに祀られております。

 大寳寺はもともとは祈願寺で、境内に墓地がなかったんです。だから歴代住職の墓地は、川も山も越えた向こうにあってね。大変ですよ(笑)

 
大寳寺本堂




大西:
 僕は小さい時から、熱烈にお坊さんになりたかったんです。

 うちは四国八十八ヶ所霊場の第四十四番札所でね、その納経をおじいちゃんに教わって、小学校3年生のときから書かしてもらってたんです。書道は、兄や姉と一緒に幼稚園のころから習ってましたから。
 おじいちゃんは先々代の住職で、僕のことをとてもかわいがってくれたんですよ。

 こんな山奥の寺の先々代、先代住職のもとへ、車イスに乗ったり、自力では歩けずに人に付き添われたりして相談に来る人がいる。その横にちょこんと座って聞いておりますと、先代が、「ぜひお四国をまわってごらんなさい、車でも構わんから」と言うんです。そうすると、1ヶ月後にはその人、自分の足で歩いてお礼参りにくるんですよ。そんな摩訶不思議な事が本当におこるんやと驚きました。歩けん、もうお四国も行けんと言いよったのに、元気に歩いて来るんですよ。「おばあちゃん、うそやろそれ!」って言うと、おばあちゃんが「いや、本当におかげをもろた」と涙ながらに話すんです。こんなことを何度も目の当たりにして、素晴らしい!面白い!と感動しました。興味を持ったのはそこからですね。

外山:
 すごい話ですね!仏さまの奇跡を目の当たりにしたことが、大きな力になっていたんですね。

大西:
 小学校の行事で、代表して作文を読んだことがあるんです。そのときにはもう、僧侶になると発表してました。
 昭和59年で、ちょうどお大師さまの1150年の御遠忌(ごおんき)でしたので、毎日、100〜150人の参拝の方がお寺に泊まっていかれるんです。大変ですよ。僕も、お布団運びやお膳の上げ下げの手伝いをしていました。すると参拝の方たちが、とても喜んだり、ほめてくれたりするんです。それが気持ちよくてうれしかったのを覚えています。

 中学校ではサッカー部に入っていましたが、練習が終わると必ず納経所に座ってました。趣味でしたね。

外山:
 中学生の趣味としてはめずらしいですね(笑)。今はどんな趣味がありますか。

大西:
 そうやねぇ。料理ですかね。

外山:
 得意料理は?

大西:
 無いわ恥ずかしい!
 でも、しいて言えば外山君に出すうどんかな(笑)。まあ何でも作りますよ。料理は好きなんです。
 出汁をとるところから徹底的にやります。「出汁はいいから鐘をつけ!」って先代に怒られながらね(笑)

外山:
 出汁からですか!うどん以外にもいろいろと食べてみたいですね(笑)

   
 
参道入り口




大西:
 「縁」かな。
 お坊さんになって、色んな事を勉強さしてもらう中で、半信半疑であったものが少しずつ確信に変わってきているんですよ。それが「縁」です。
 外山君とも、絶対に出会うべくして出会っとるんや。外山君がサラリーマンをしとっても必ず出会えただろうなと確信があるんです。たとえ電話番号を交換しなくとも、ひょんな所で必ず会える。そんなことを強く思うようになりました。

 お坊さんとしての年月が長くなると、注意してくれる人が本当に少なくなるんですよ。お坊さんに限らず、大人は誰しもが感じていると思います。だから、小さい頃にしとかないかん事がたくさんあったはずなんです。でも実際は出来ていなかった。そうしたら、今からでも、少しでも良いと思った事はやればいいんです。

 僕は、人との出会いに後悔を残したくないんです。日によって機嫌のいい時も悪い時もあるし、それが顔に出てしまうこともあるかもしれない。でもそれだと後悔が残るから、自分で自分を変えようと。だって、何度も会える人もいれば、一度しか会えない人もいるからね。
 一度しか会えないかもしれない人でも、顔はしっかり覚えようと思っています。出会いに後悔のないようにね。
 「縁」は大事です。つくづく思います。

外山:
 たしかに、自坊によくお参りにいらっしゃる方でも、頻繁に会える方とほとんど会えない方とがいます。

大西:
 そうなんですよ、分かれるんです。不思議なもんですよね。やっぱり縁としか言いようがない。大切にしたいですね。
 
本堂を目指すお遍路さん



大西:
 今、愛媛県の仏青で会長をさしてもらってます。そこで一番力を入れているのは、東日本大震災の復興支援です。平成25年3月11日の三回忌には、護摩木祈祷一万願を行いました。1万本の護摩札を、信者さんから募ったんです。

 この護摩法要の厳修を決めたのは平成24年10月ごろで、準備期間は半年しかありませんでした。まわりからは、たった半年で1万本のお札を集めるのは無理だと、さんざん言われました。でもやると決めたからにはやるんです。
 愛媛県支所下の寺院に協力してもらったり、僕も実際にお四国を歩いて、出会ったお遍路さんたちにお願いして回りました。もちろん初対面の人たちです。ほんなら見事に集まりましてね。それも、1万3千本近くも。
 当日は、今治市にある遍照院さんを道場にお借りして、復興祈願の護摩を焚きました。

 護摩木代と義捐金、合わせて410万円も集まりました。福島県相馬市の市長さんと宮城県山元町の町長さんに直接渡すために、明後日(6月19日)から東北に伺う予定です。
 

復興祈願の護摩




大西:
 四国霊場が平成26年に開創1200年をむかえることもあり、お砂踏みにも大変力を入れております。
 四国霊場会の青年部の活動として、日本中をまわってお砂踏みを開催して布教活動をしようと、何度も提案してきました。なかなか認めてもらえなかったんですけど、開創1200年記念ということで、ようやく形にすることができたんです。平成24年から、愛媛県内、中国地方と、少しずつまわり始めました。

 僕たちの出張して行うお砂踏みは、とてもコンパクトなんです。必要な道具はワンボックスカー1台に収まるくらい。これには理由があります。
 通常の方法では、1ヶ寺分の掛け軸とお砂で2坪ほどのスペースが必要です。それが88ヶ寺分となると、ホールなどの広い場所を借りなあかん。そうすると、体の調子の悪い人は来られんのですよ。それじゃあ意味がない。
 「体の調子は良くないけど、一度でいいからお四国をまわりたい」。その願いを叶えるために、こちらから出向いていって、机4枚ほどあればできるお砂踏みをおこなっています。

外山:
 特別養護老人ホームやホスピスなどの施設もまわっているそうですね。

大西:
 そうなんです。
 ある施設長から、とにかく早く来てくださいと呼ばれたことがありました。そこには、ほとんど意識のない、寝たきりのおじいさんがいたんです。どうやってお砂踏みをしようかと看護師さんと相談して、お砂を敷いた毛せんの上をベッドごとまわってもらいました。僕が、「先達さんみたいに、何十回何百回とお四国をまわってくださいね」と声をかけたら、おじいちゃん、涙を流してるんですよ。5回目わったときには目が開いて、8回目には声が出たんです。声を出して泣くんです。そんで13回目くらいかな、とうとう手が上がって。お参りしよる!手を合わせよる!って、僕らももらい泣きしましたね。

外山:
 これが仏さんの力なんですね。すごいです。

大西:
 大きな声をあげたり、ものにあたる人もおる。そんな人でも、仏さまの御影を貼った屏風の前にくると、手を合わせてお参りするんです。
 仏さんの力は偉大ですよ。

外山:
 被災地でもお砂踏みを開催されたと聞きましたが。

大西:
 東北の仮設住宅に行ってきました。みんなね、泣くんですよ。震災で自分だけが生き残っていいのかって。「そんなことはないよ、この世界にはこんなに素晴らしいことが起こるんだよ」ということをちゃんと伝えなくちゃいけない。苦しいなかにも喜びはある、その喜びをいかに増やして生きていくか。これを伝えるのがお坊さんの役目ですよ。



施設でのお砂踏み



大西:
 仏教は、他を排除することはありません。他宗教だからあかんということもない。どの宗教も、心の中はみんな同じだと思うんです。世の中が安泰になりますようにって。

 お四国をまわるお遍路さんを見ていると、昔と変わったなと思います。
昔のお遍路さんは、人のために願いを持って歩く人が多かった。それが最近は違う。自分のことしか考えていない人が多いような気がするんです。もっと健康になりたいとか、もっと儲かりますようにとかね(笑)
 そういう人は、自分の見える範囲でしか生きていないんです。見えない世界を想像できなくなっている。でもそれだと、人の良さも、人の痛みも、人に対する恩義も、何にも感じられなくなってしまう。人間らしい心とはいえませんね。

 近所にどんな人が住んどるかも知らない、守るのは自分のいるスペースだけ、子供に何かあったら自分を見つめる前に人のせいにしてしまう。こんな人、いますよね。
 お坊さんはもっと勉強して、もっとお話しをしていかないといけません。「悩み事?お寺にどうぞいらっしゃい」って声をかけないと。格好つけなくていい、泥臭くていいと思います。

外山:
 自分も僧侶の端くれとして、本当に耳が痛いです。
 
お大師さまを拝む利用者の方




大西:
 「だいたい」ですね(笑)
 昔は完璧主義だったんです。友人を自分の部屋に入れるのに利用規則をつくったり、車に綿棒を常備して隙間をいつも綺麗にしてなくちゃ気がすまないような人間でした。本音を言えば、車には誰も乗せたくなかったですね。
 でもそうしてると、自分の性格がどんどん悪くなるんですよ。それに気づいてからはやめました。今では「車ちらかってますよ」って言われます(笑)
 ただ、料理には多少残ってるかもなあ。うどんも出汁からとるし(笑)
 
取材の様子(左:外山委員、右:大西師)




大西:
 今生きようとしているものを生かそうとする事が、お坊さんの役目だと思います。共に乗り越えるために、声をかけて、手をさしのべるってことです。
 死んだ人を拝むだけがお坊さんではないけん。あれは後付けやけんね。葬式仏教なんて揶揄されるのはお坊さんのせいですよ。布教があまりにも足りない。もっと人と向き合って、「この人はどんなことを考えとるのかな、悩んどんじゃないのかな」と考えないと。改めて襟を正さないといけませんね。
 堂々とした姿勢も大事です。自分のやっていることに胸を張れないと、人と向き合うこともできません。そのためにも、つねに拝んでいないと。普段の小さな積み重ねが自信につながるし、普段の態度に出てしまいますからね。

 新しいことをするのも大事です。でも、仏教の教えを代々守って、かつ、その時代のニーズに適応させていくことの方が、もっと大事だと思うんです。受け継がれてきたものって、力があるんですよ。とても大変なことですが、それをみんなで守っていけたらいいですね。
 
お遍路さんと観音さま
  
 あふれ出る熱い思いを、ユーモアを交えてお話しいただきました。札所でのご法務に加え、お砂踏みで全国をまわるなど、本当にお忙しい中、快く応じてくださいました大西康元師、誠にありがとうございました。