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【豊山仏青機関紙 豊友第135号】 平成21年8月4日発行
発行者:豊山派仏教青年会 真言宗豊山派宗務総合庁舎内 (直通)TEL・FAX03-5940-0585
発行人:鈴木道盛
編 集:豊友出版部

〜 も く じ 〜

>豊山太鼓「千響」委員長就任挨拶 

>学びの場所

>編集後記
 

豊山太鼓「千響」委員長就任挨拶
      初代委員長 埼玉二号仏教青年会 馬場貞範

 このたび、豊山仏青に新たに発足した“豊山太鼓「千響」”の初代委員長を拝命した埼玉二号仏教青年会の馬場貞範でございます。

 豊山仏青は、平成19年に創立50周年という大きな節目を迎え、名児耶照教会長のもと、『写仏展覧会』『求道求法の道を訪ねて〜青龍寺送り大師〜』『第34回全国結集越後大会 慈愛(いつくしみ)』『(ひびき)(あい)(聲明公演)』『豊友創立五十周年記念特集号』と、半世紀の間に培われた力を結集した大事業が成し遂げられました。

 そして平成20年、鈴木道盛新会長を中心に51年目がスタートしました。鈴木会長は、豊山仏青の目的「広く社会に仏教精神を高揚し、その実践を図る」を見つめ直し、新潟の『響愛』でも確認された太鼓の力を、その目的達成のための一つの手段として確立すべく、会員の太鼓演奏力を研鑽し合い、積極的に社会に働きかけていこうとの提案をされました。それを受け、21年3月の理事会において、“豊山太鼓「千響」”が承認され発足したのです。

 早速、日本武道館の『千僧音曼荼羅』以来、様々なご縁をいただいた世界的な和太鼓奏者 林 英哲 師には、顧問に就任していただき、『六大響』に続く新たな太鼓曲の作曲並びに指導をお引き受けいただきました。

 また、発足を記念し、真言宗豊山派仏教青年会主催のもと、新曲発表をかねて、平成22年2月4日、サントリーホール(東京初のコンサート専用ホール)にて「聲明(御詠歌)と太鼓とパイプオルガン」によるコンサート【千響】を開催することが決定しています。

 浅学非才の身ではありますが、いつの日か千人の僧侶で太鼓を打てることを夢見て、いま自分ができることを精一杯させていただきたいと考えています。どうぞ、偉大なる先輩の皆様、会員の皆様、豊山太鼓「千響」をあたたかく見守っていただき、従前に増してのご協力並びにご指導ご鞭撻を改めてお願い申し上げ、言葉整いませんが挨拶とさせていただきます。    

                                 感謝合掌 馬場貞範


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学びの場所
      
東京二号支所 華蔵院  木下 栄海

 昨年の三月、多くの先生方や先輩方や友人からの御指導のもと無事に大正大学を卒業し、春から自坊を手伝いながら僧侶の道を歩んでいくことになっていたのですが、それまで学生として約二十年間過ごしてきたので急に勉強をする時間が極端に減る生活、という言い方は変かもしれないのですが、それを受け入れ社会人として僧侶としての時間が増えるので生活のリズムが狂って怠けてしまうのではないかと内心心配していました。

 そんなことを考えていた時、父から養成所という勉強機関があるというのを聞きました。父もそこに所属していたこともあり、沢山学ぶこともあったし、いろいろな方との交流もある、など様々な話が聞けて養成所というところに興味が湧きました。

 養成所は、総合研究院のもと、教師を養成する機関であり、事相と布教の二つのコースがあります。いろいろと悩んだ末、私は事相コースに入所させていただきました。なぜ事相にしたのかといいますと、布教にも興味がありましたが、まだまだ僧侶としての知識が乏しいため、僧侶の基礎知識ともいえる事相をまず勉強し、その後、布教に入りたいというのと、大学にて行われている宗派指定研修以来、長時間の法要やたくさんの声明に触れる機会があまりなかったので、もう一度声明を勉強してみたいという理由から選択しました。

 そして、無事に四月から入所してから月に二、三回程度の講義があり、午前は一座行法として不動法・宗学など講義を行い、午後から事相の講義を受ける。そのような形で進められ、内容としては、声明はもちろん小作法や荘厳、曼荼羅、悉曇、四箇法要、大般若などの講義を中心に、布教との共通講義、実践として二箇法要、大般若、常楽会を行うなど、多くの講義を受け、大変素晴らしい経験を積ませていただきました。

 この一年間で本当に多くの経験と、先生や先輩方や同学年の方々と色々な交流が持てて、とても充実した時間を過ごせたと感じ、養成所に入ってよかったと思えました。二年で卒業となる養成所。今年で卒業となる私ですが、心を初心に戻す気持ちで取り組みたいと思います。


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編集後記

 『驚天動地』天地を動かすほど驚くこと。

 新聞やテレビには、まさに驚天動地のニュースが飛び交っている。言葉にはできないような残酷な事件、環境問題、金融危機、人々を不安へと導くニュースが多いのが現実である。

 過去に、恐ろしいニュースが流れるのは、平和な証拠。という一文を目にしたことがある。なんとも逆説的な考えであるが、ニュースになるということは、珍しいからであり、そのような悲しい出来事が報道されず、喜ばしいニュースが報道されるようになってしまったら、それこそ、世の中が暗い証拠である、ということだ。なるほど一理ある、と妙な納得をしたことを憶えている。しかしながら、悲しい事件事故が起きているのは事実である。最近、そのような身の毛もよだつような事件のニュースを聞いても、酷いと感じても、珍しいとは感じなくなってしまったような気がする。

 人を笑わせる芸人を、頻繁にテレビで目にするようになった。その裏には、笑顔が消えつつある、現代の人々の不安を感じずにはいられない。悲しいニュースになるような出来事は、なくなるのが一番であるが、報道をされなくなってしまったら、と考えるだけでも恐ろしい。

まんが 作/画:田中礼奈 
 
豊山仏青広報次長 田中宥弘

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