Map Mail

【豊山仏青機関紙 豊友第141号】 平成23年8月1日発行
発行者:豊山派仏教青年会 真言宗豊山派宗務総合庁舎内 (直通)TEL・FAX03-5940-0585
発行人:橋將雄
編  集:豊友出版部


〜 も く じ 〜

追悼と復興の願いを込めて

  福島2号 宝蔵寺 百田智道

震災復興の祈り、太鼓の響きに乗せて

  
東京六号 蓮花寺 佐々木栄蘊

○編集後記
 


.
  追悼と復興の願いを込めて

                         福島2号 宝蔵寺 百田智道


 

 四月二十八日東日本大震災から四十九日目のこの日、福島県相馬市フローラメモリアルホール相馬にて東日本大震災犠牲者の合同七七日忌法要が執り行われました。
 私は現在、埼玉県に住んでいます。福島県南相馬市宝蔵寺は母の実家となります。二十七日南相馬市へ入ったのですが、そこにはテレビで映像として見るのではなく、実際に目の前に広がるその景色は瓦礫と崩れた家、打ち上げられた船が残り、田んぼは泥が残る、今まで見てきた景色とは全く違う想像を絶する景色が広がっていました。その景色と本堂で預かり並ぶ五十体以上のお骨に胸が締め付けられ言葉も出ませんでした。
 
 二十八日は午後一時からフローラ相馬での法要となりました。そこへは連絡を受け駆けつけた全国各地から豊山派の僧侶が当初の予定人数をはるかに上回り百六十名を超える人数が集まりました。法要が始まると位牌や遺影を胸に抱えた犠牲者の家族が次々と途切れることなくお焼香へと進んでいきました。私はテレビで連日流れる震災の様子、日々増えていく犠牲者の数、いまだ見つからない行方不明者、原発の事故によりいつ帰れるのかもわからずに不安な日々を過ごす人たち、突然の地震と津波で奪われた命。一人の人間として真言宗豊山派の僧侶として自分にできることはないかと考えていました。そしてこの法要へと集まった僧侶の志しは皆同じです。一人でも多くの犠牲者の魂が安らかになるよう、一日でも早く行方不明者が家族のもとに帰れるよう、また復興が進むこと、いつもの日常が取り戻せるよう願い祈りを込め全力で読経しました。 

 現在も原発は収束が見えず犠牲者も増え続けていますが、きっと遠くないうちに田んぼが広がり、穏やかな海が見え、温かな人たちが暮らす福島の景色が見れるよう、これからも一人の僧侶として祈り続けていきたいと思います。           合掌
  
 
→もくじへ



  震災復興の祈り、太鼓の響きに乗せて

                     東京六号 蓮花寺 佐々木栄蘊




 平成23年5月21日、東京都足立区にある西新井大師總持寺の本堂前広場にて、豊山太鼓【千響】の有志による東日本大震災チャリティー公演が行われました。今年3月31日に起きた東日本大震災からの復興を願うこの催しは、5月21日を含めて、三度目となります。

 この日、千響のメンバーは朝8時30分頃、西新井大師へと集まりました。天気は朝から抜けるような青空であり、絶好のロケーション。なんといっても舞台は本堂前の境内。雨が降られては台無しです。太鼓の叩き手は18名前後。木村量興委員長の挨拶と共に、この日の打ち合わせが始まりました。

 チャリティー公演は1日に4度行われました。それぞれ10時、11時30分、13時、14時30分から約30分の公演です。さらに12時から15分程、アンコールのような形で特別公演を行いました。

 リードを務めたのは林英哲師のお弟子さんであり、太鼓奏者として幅広く活躍されている上田秀一郎師。上田師は阪神・淡路大震災の折にも被災地で太鼓による演奏を行っており、今回の東日本大震災においても、被災地で太鼓の演奏や炊き出しを行っています。

 このチャリティー公演で演奏する曲目は“六大響”と“観音経”、そして“般若心経”です。公演時間は30分ですので、演奏はそれこそ嵐のように、一気に駆け抜けます。照りつける日差しと相まって、演奏終了時には汗が滝のようになっていましたが、それでも皆さん、顔色一つ変えずに、演奏後の募金のお願いを呼びかけました。

 またこの日は日差しが強く、たいへん暑かったにも関わらず、多くの方々がこの西新井大師にお参りに来ていらっしゃいました。中には太鼓の演奏を聴き、一度帰られてから今度は家族を連れて再度聴きに来られたという方の姿も。おかげさまで、この日の公演は大盛況となりました。

 私は、今回初めてチャリティー公演に参加させていただきました。そこで感じたものは太鼓の響きの力強さ、そしてそこから生まれる小さいかもしれないけど、確かに感じられる復興への情熱。今後も千響は各地でチャリティー公演を行っていくとのこと。私も千響の一員として、少しでも多くの方々に太鼓の響きを伝えていきたいと思います。               合掌

 
 
→もくじへ




編集後記
 

 毎年その季節になると思いだされる思い出が人には少なからずあると思う。

 私が中学生の頃の化学の教師はとても教育熱心の人物で、夏休みの宿題の自由研究にも力を入れていた。夏休みの宿題の自由研究とはそれぞれ自分で考えた実験を行い、それをレポートにまとめて提出するというものであった。独創性に欠け、また文系の私にはなかなか手のかかる宿題であった。

 その化学の教師が例として過去の宿題の実験内容としてあげたのがサイコロを一万回振り、サイコロの目が均等にでることを証明したものであった。私はその実験内容を聞いてただ感心するだけであったが、私の同級生はその実験を聞き、サイコロを一万回振り、サイコロの目が均等にでないということを証明する実験を行った。サイコロの目は目の分だけ穴があいているのでその分重心がずれている為均等にはでないというのが同級生の考察であった。

 この実験は実験内容と結果はほぼ同じにもかかわらずその結果をどのようにしてみるかによって証明される内容が全く違うことになり、視点を変えることの大切さを実感する思い出としてこの季節になると毎年思い出す思い出のひとつになっている。

豊山仏青広報次長 塚田 宝貴

ページ上部へ戻る