【豊山仏青機関紙 豊友第148号】 平成26年1月28日発行
発行者:豊山派仏教青年会 真言宗豊山派宗務総合庁舎内 (直通)TEL・FAX03-5940-0585
発行人:花園昌道
編 集:豊友出版部 |
〜 も く じ 〜
○『沖縄結集を終えて』
第四十一回全国結集「沖縄大会」実行委員長 猪狩 正貴
○豊山派仏青 第四十一回全国結集沖縄大会 感想文
沖縄山 城間院 長谷寺 副住職 岡田 隆英
○第四十一回全国結集沖縄大会に参加して
千葉三号 明澄寺 青木 宏憲
○全真言宗青年連盟第三十四回結集宮城大会に参加して
東京二号 華蔵院 木下 榮海
○久慈市・野田村青少年研修会に参加して
佐渡支所四十番 多聞寺 土賀 龍心
○編集後記
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『沖縄結集を終えて』
第四十一回全国結集「沖縄大会」実行委員長 猪狩 正貴
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冬到来、師走だというのに南国の地は、日中20度以上の気温により”暖かい”というよりは”厚さ”をも感じる陽気となりました。
第四十一回目を数える今結集は、「一味和合〜沖縄から広げる世界平和〜」と題して”熱き”160余名に参加して頂くことが出来ました。
これは、1年近くの時間を掛け準備を進めて参りました。東京三号仏青並びに同四号仏青により結成されました実行委員一同にとりましては正に感謝の一言に尽きます。
ご参加頂きました、全国の会員の皆様には、結集の趣旨を十二分にお汲み取り頂き、かつて戦火の交えた歴史が今尚深く、かつ現代においても未だに解決されない問題の残るこの沖縄の地で共に、考え、これからの自分たち一人一人が行動して行く原点を求めていこうと行動された第一歩であると拝察いたしております。
それは、ご講演を頂きました沖縄山城間院長谷寺ご住職、岡田弘隆先生・沖縄歴史民俗学の権威、大城将保先生それぞれのご講演を拝聴して頂いたことで、それぞれ感じて頂けたと確信しております。
岡田先生におかれましては、結集開催が決定してから、今日に至る迄、暖かいご厚情とご協力により「平和祈願法要」を勤修する道場を提供して頂きかつ、新寺建立されてから今日に至る布教活動についてのご講演では、これからの布教活動に活かすことの出来るお話を頂戴しました。
そして岡田先生にご紹介頂きました、大城先生に於かれましては、沖縄の歴史と現状について、詳細な事象をご教示頂きました。
まさに先生のお話は、歌謡曲の歌詞ではありませんが、「教科書に書いてあることだけじゃわからないこと・テレビやマスコミでは報道されないこと」が凝縮した内容であり、まさにこの地で聞かなければわからない貴重なご講演でありました。
この結集では、時間の関係もありましたが、いわゆる有名観光地を訪問する日程を敢えて組み込みませんでした。それは、参加して頂いた方も、また今回参加出来なかった皆様にも2度、3度と沖縄にお出で頂き、また違った角度から沖縄を見つめて頂きたかったからです。
どうか、この結集を機会に沖縄に心を寄せて頂き、かつ平和の尊さを改めて再確認して頂ければと存じます。
末筆ながら、ご講演を頂戴致しました、岡田先生、大城先生。今結集においてご参加頂きました皆様、そして結集へ暖かいご協賛を賜りました、全国の諸大徳様、広告提供の業者様、当該支所であります東京三号、四号の支所ご重役の皆様には、大変お世話になりました。ありがとうございました。 合掌
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豊山派仏青 第四十一回全国結集沖縄大会 感想文
沖縄山 城間院 長谷寺 副住職 岡田 隆英
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1年を通してハイビスカスや色とりどりの花の咲く沖縄へ、かつて琉球王朝が栄えたアジア全域と交易のあった沖縄へ、「ざわわざわわ」の沖縄へようこそおいで下さいました。初めて足を踏み入れた方も、日本というより、東アジアの文化が色濃く映しだされる沖縄の地に驚きと興味を持たれた方も多くいらっしゃったと思います。
平成25年12月5日・6日にかけて第四十一回全国結集沖縄大会が開かれました。花園昌道会長を始め、全国の豊山派仏教青年会の皆さまに遥々遠方までお越し頂きました。沖縄長谷寺での法要や、ひめゆりの塔をお参り、ホテルでの沖縄山長谷寺の岡田弘隆住職の講演会や、歴史学者である大城将保先生の講演会が行われました。
沖縄の長谷寺は岡田住職が沖縄戦没犠牲者の追悼のために皆さまの多大なる協力を得て建立されたもので、平成18年10月の建立から早くも8年目を迎えました。沖縄長谷寺の建立然り、この度の結集は岡田住職個人だけでこの慰霊を行っているのではなく、先の大戦で数多くの戦没・戦災者をだした沖縄の御霊に対して皆さまの慰霊の念があってこその実現であったと強く感じています。
沖縄には実は古くから仏教が根付いております。13世紀には禅鑑という僧侶が王の帰依を受けて極楽寺を建立したとされています。更には、1603年に来島した袋中上人が浄土念仏を民衆の間に広げて以来、お盆行事の精霊送りの念仏がやがて今のエイサーにまで発展していったと経緯があります。そのため沖縄長谷寺は当初の想像よりずっと早くこの地に根付くことができたのです。

世界が手と手を取り合うなかで、物理的・精神的な非暴力から解放されすべての生命が共存できますよう、沖縄長谷寺では今後とも皆さまのご協力を得て、沖縄の地から仏教の拠り所とした平和を発信していきたい所存です。沖縄へ来た際は、また沖縄長谷寺にお立ち寄りください。お待ちしております。
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第四十一回全国結集沖縄大会に参加して
千葉三号 明澄寺 青木 宏憲
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平成二25年12月5日・6日、真言宗豊山派仏教青年会第四十一回全国結集沖縄大会が開催されました。
1日目、開会式に先立ち、沖縄山城間院長谷寺にて、ご本尊十一面観世音菩薩さまが見守る中、世界平和祈念法要が厳修され、世界平和と沖縄戦の犠牲者にまことの祈りを捧げました。
この後、ひめゆりの塔を視察し、ホテルに移動して開会式が執り行われました。
開会式の後に、「沖縄に新寺建立してわかったこと」を題として、沖縄山城間院長谷寺岡田弘隆師住職を講師として記念講演が行われました。新寺建立の経緯や沖縄の宗教に対する考え方。また弁護士という立場から客観的に、これからのお寺に大切なこと、沖縄の歴史と取り巻く現在・未来の世界などをご講演いただきました。岡田住職はご自身で行っている活動や購読されている宗教新聞や雑誌、本なども紹介を交えながら、社会情勢、経済、人口問題や時代の流れなど、とても大切なものを私たちに示してくれました。
2日目は作家であり、歴史研究家の大城将保先生に沖縄の歴史と文化を「平和・自立・共生」というテーマでご講演いただきました。
大城先生はパワーポイントを使い、ご自身で撮られた画像も映し出しながら、琉球王国時代から沖縄戦を経験された方の話まで、特に多くの一般人が巻き込まれ、犠牲となった沖縄戦については、今日まで続く基地問題や沖縄戦の教科書検定などの問題にも触れられながらご講演いただきました。
岡田住職、大城先生の講演を聴き、人も時代も変化を続けていく、無常であるということ、そして自分は無知であることを痛感しました。
私にとって初めての沖縄は学ぶことが多く、また足を運び、歴史や文化を知りたいと感じる大変充実した結集でした。
実行委員の皆様においては地元開催ではない結集の準備、開催は困難を極めたことと思います。素晴らしい結集に参加できたことを感謝しております。
ひとりの人間として、僧侶としてより一層の世界平和を祈念したいと思います。 合掌
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全真言宗青年連盟第三十四回結集宮城大会に参加して
東京二号 華蔵院 木下 榮海
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初霜の候、寒さの始まりを感じられる11月12日から11月13日の2日間に渡り、「平成二十五年度全真言宗青年連盟 第三十四回結集 宮城大会『鎮魂』〜真言僧侶の使命〜」が行われました。会場は宮城県の松島一の坊と野蒜海岸として講演会並びに今大会のテーマである『鎮魂』の慰霊祭に参加させていただいた。講演会では講師として株式会社やすらぎ葬儀社 代表取締役 稲葉隆氏と東北大学加齢医学研究所教授 川島隆太氏の御ニ方に御越し頂き3月11日の東日本大震災(以下:震災)の実体験をもとに震災当時の状況や感じたことなどを話して頂いた。
稲葉氏の講演では、震災当時のことを思い出すだけで涙ぐみ悲しみながらも当時のことを話してくれた。震災の大津波で御両親を亡くされ母親の御遺体はきれいな状態で発見できたが、父親が見つかったのは震災後2ケ月経過しており損傷が激しいと安置所の警官が言うが反論し状態を確認され「親孝行したいときには親はなし」の言葉通りに両親に何もしてあげられなく悔やんでしまう。しかし、そのような状況の中でも次々と震災で亡くなった方達のために方々から棺を集め仮埋葬にならないように多くの方達を火葬できるように懸命に対応されたり、自社の会館を避難所として開放し地域の方々を受け入れるようにしたりと積極的に地域の復興に関わっている。稲葉氏はこの当時を振り返りながら一生忘れられない、一生忘れてはいけない記憶になったと直接被害にあわれた人でないとわからない気持ちを表された。
川島氏の講演では、震災当時教授は自宅で被災にあい被害などは他の程ではないが停電や衣食などのライフラインが途絶えた状況などを振り返りながら当時若い医師達が自衛隊と共に派遣され同じように行軍をし、震災の凄まじい状況を目の当たりにしながら支援に訪れてくれたことを語った。また、脳科学の分野からみて、当時被災された同じ東北大学に通う学生の協力の下、脳を調べたところ精神にかかった負担やストレスなどの影響で脳が縮まっていたというのがわかった。そして、リハビリしていきながら脳の再生の過程なども含め老いとは違ったストレスによる脳の退化について教えてくれた。
これら以外にも、川島氏はスマート・エイジング(賢い老化)の思想を研究しておりアンチ・エイジング(老化抵抗)とは違い歳を取るのを防ぐのではなく、歳を取ることにより賢く成長していくことを提唱され人は常に進化を続けていることも語り、被災された方々のメンタルケアだけでなくこれからの高齢化社会にどう向きあっていくかということも含め興味のつきない講演内容だった。
そして翌日翌日の13日には東日本大震災の慰霊祭が行われた。朝ホテルからバスに乗り出発し奥松島町付近にある野蒜駅付近にて下車、そこから行道しながら光明真言を読誦し加持土砂を散じながら被災地を巡拝。およそ30分ほど歩き鳴瀬第二中学校のにて列奉行しながら野蒜海岸を目指し海岸沿いにて海に向かって着座の後、法要を勤めた。
冒頭にて初霜と書いたが、13日は宮城県にて初霜を観測した日でもあり海岸沿いというのもあり寒かった。しかし、法要説明会の時の話で「以前、被災された方に御会いした時に寒いですねと声をかけたら、震災直後の寒さに比べればましだと言われ言葉を失った。」という話を聞き、巡拝中も法要中も寒いという言葉を使わないで欲しいということが付け加えられた。確かに震災直後電気もガスも途絶えたままの場所が多く暖をとるのもやっとなくらい厳しい状況に置かれた方々に『寒い』の一言が如何に重い言葉なのかというのを考えさせられた。
また、法要では砂浜に座具を用いて海に向かって真言を唱えた時、真言の音と波の音以外一切耳に入ってこない状況で、震災が起きた時テレビ等の報道でしか当時を知らず、何かしたいけれど何も出来なかった自分がここで法要をあげていいのだろうかという疑問が生じたが、その日帰宅した時の夕方の報道で午前中に法要をしたことをさっそくメディアがとりあげており、参拝された方々が色々な気持ちをもって参加され感謝の言葉を直接ではないが聞いて慰霊に参加し供養ができて良かったと思った。
まだまだ震災の爪痕が残っており、復興も手つかずの場所があったりと色々な状況が見て取れる中で今回の大会に参加させて頂き自分の足で現場を見ることが出来て良かった。もう3年とも、まだ3年とも思える時が経つ中で今回慰霊祭に立ち会えて本当に良かったと思えたし、先ではあるが、回忌法要が行われる際や他のこと等些細な事でも構わないから復興に向けて少しでもいいから関わりたいと思った。
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久慈市・野田村青少年研修会に参加して
佐渡宗務支所四十番 多聞寺 土賀 龍心
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平成25年9月29日、岩手県平泉町にあります天台宗東北大本山中尊寺において「久慈市・野田村青少年研修会」が開催されました。今回は盛岡市の「NPO法人岩手未来機構」より”被災地の子どもたちに文化的な経験をしてほしい”との要望が豊山派仏青によせられたことから実現したものでありました。岩手県久慈市と野田村はこの度の東日本大震災により、甚大な被害を受けており、現在まさに復興の途上にあります。こうした中、小学生から高校生までの子どもたち中心に、その保護者を含めた総勢60名ほどの参加がありました。
この日は11時に中尊寺に集合すると、昼食をとる前にまず、諸川良範師による食事作法の指導がありました。箸の使い方や茶碗の持ち方についてパネルを用いて分かりやすく説明され、改めて作法を学ぶ機会となり、大変好評でした。そして食前の言葉を参加者全員で読み上げて、感謝しながら昼食を頂きました。食事の際、話題は久慈市を舞台にした朝の連続テレビ小説の話になり、「じぇじぇじぇ」という言葉は、一部の地域でが使われているものだが、ドラマ以降、久慈市の子どもたちの多くが使うようになったいう、笑い話も交えながらお話を伺い、交流を深めるきっかけになりました。
午後になると会場を移して、プログラムを進行していきました。まずは、ヘフヘム岩手の矢部真希子さんより、中尊寺の縁起を題材にした大きな紙芝居の上演があり、楽しみながら中尊寺についての理解を深めました。その後は腕輪念珠づくりに取り組み、はじめての作業に苦戦しながらも、やはり子どもたちはのみこみが早く、1つ目を作り終える頃には、すっかり慣れて、2つ目、3つ目と複数制作していました。だれに渡すのかと尋ねると、多くの子どもからは親や兄弟に渡すとの答えが返ってきて、その気持ちの温かさと思いやりにこちらもうれしくなり、手渡している姿を想像を巡らせました。
そして一行はいよいよ「平泉の文化遺産」の中心である金色堂の拝観も向かいました。金色堂は中尊寺の創建からの唯一の建物であり、また奥州藤原氏の葬堂でもあって、親子4代が安置されているものであります。金色堂については松尾芭蕉が「五月雨の降残してや金色堂」と詠んだことでも有名であるように堂内は煌びやかに装飾が施されており、その輝きと歴史の空間に浸かり、皆でその感動を共有しました。また職員の方より案内を受けながら、境内の諸堂や宝物館を巡ることができ、中尊寺の歴史を現代に伝える文化財の数々に接する貴重な機会が得ることができました。研修会の最後には、花園昌道会長より岩手未来機構へ支援金の目録が贈呈され、会は幕を下ろしました。
被災地域の子どもに目を向けると、その取り巻く環境は決して好転したとは言えず、むしろ子どもを対象とした虐待の増加が報告されるなど、震災からまもなく3年目を迎えようとする現在でも課題は山積みしていると言われています。それでも研修会を通して、子どもたちの夢や希望を聞くことができ、またこうした子どもたちの姿に大人が励まされていることを知りました。復興の担ぎ手となり、今後の被災地域の未来を築いていく子どもたちにとって、今回の研修会が少しでも楽しいひと時となり、また思い出のひとつとなってもらえたらと願うばかりです。
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